埼玉にある水素サロンセルくれんず|日本で新型コロナのワクチンが必要かどうか決めるのは個人
2021/09/06
最近、ワクチンが必要か不要かという相談をそれはもう頻繁に受けます。
私自身は、新型コロナのみならず、インフルエンザなど他の予防接種・ワクチンもすべて不要だと考えていますが、
まず相談されたお客さんに伝えるのは、「ワクチン接種は任意が法律」ということです。
テレビや新聞などのメディアでは、ワクチンは必須と思えるような論調ですが、決してそうではありません。
自分で決めていいんです。
『八戸が「射たない」と言ったから私も射たない』というのは、困ります。そういう依存はご遠慮ください。
私はなんの責任も取りません。そもそも責任問題になるのがおかしいのですが。
相談の内容で次に多いのが、『自分は射ちたくないが、職場で射たなければならなそうな雰囲気。どうすればいい?』というものです。
それについても答えは出ています。
『自分が射ちたくないなら射たなくていい』し、『射たなければ仕事をさせないのは違法』です。
厚生労働省のホームページにも、ワクチン接種の如何による差別はしないように記載があります。
職域接種を推している経営者は『国の方針を無視して暴走している』と言えるのではないでしょうか?
ワクチンを射ちたくない人が、摂取を強要されていると感じたら、迷わず法律を盾にしてください。
『私がワクチン接種をしなければならない法的根拠を示せ』と。
示せる可能性はゼロですが、示してくれて納得したら接種することはやぶさかではない、という姿勢を貫くことです。
ワクチンを射った人が、射っていない人に
『副反応も大したことないから、あなたも射ちなさいよ』というのも違法の可能性があります。
言われた人が強要されていると感じたら、それは紛れもなく強要なのです。
そもそもワクチンを接種したのは『自分は罹らない』からでしょう?
他の誰かが罹っていても『自分は罹らない』ならそれでいいじゃありませんか?
他の人に『“自分は罹らない”という安心が必要でしょ?』というのは、価値観の押し付けであり迷惑行為なのです。
私がワクチンは不要だと考える理由。
それは自分の糖尿病を、医学・医療に逆らう形で克服したことに端を発します。
『糖尿病は治らない』が常識ならば、私は非常識で治したのです。
この経験から、私は常識を疑うことが癖になりました。
つまり、医学が世間の常識だから、ワクチンは不要と考えるのです。
極論すれば、ワクチンが必要だと言う常識ある医者を信用していないのです。
最後に、以下に私の考えと近いことを発信している動画を添付します。
動画の主は、かつてファイザー社のアレルギー・呼吸器研究部の主任研究員兼部長として、喘息や慢性閉塞性肺疾患(COPD)の治療薬開発を監督したこともある、マイケル・イードン博士です。
※イードン博士を『元ファイザー社副社長』と題して、反ワクチンを推している人たちもいますが、その点は事実ではありませんから注意です。
“副社長”と和訳している“vice president”は部署のトップと言う意味で、日本でいう所の『部長や次長』に当たります。