一瞬、一瞬、自分を生きるということ。
2021/01/03
東京大学医学部名誉教授・矢作直樹氏の
『今という一瞬に、一生の幸せがある』という著書があります。
私がサロンでお客さんの相談を受けていつも伝えている、
「常識を疑いなさい」
「他人からどう見られるかなんて気にするな」
「不安になってウジウジ悩むのは時間の無駄」
など、矢作先生と同じようなこと言ってたんだなぁと読んでみて思います。
矢作先生は、「常に“中今”に生きている」から、毎日が楽しく、日々に幸せを感じると仰っています。
※以下、抜粋
『中今』(なかいま)とは、神道の根本的な考え方です。
私たち人間には、過去・現在・未来という時間軸が与えられています。
この三つの時間はたしかに繋がっているものです。
「中今」は、過去と未来の真ん中、まさに現在、今のことです。
今日という一日、今という一瞬に没頭して生きること。
生かされている「今」を無心で生きること。
それこそが人間としての美しい生き方であると、
神道は説いているのです。
※抜粋ここまで
矢作先生はこうも仰っています。
『過去のつらかったこと、嫌な思い、失敗や後悔、成功の喜びに浸ったことも、
すべて過ぎ去ったこと。
いくら後悔してもやり直すことはできませんし、
過去の成功にすがってばかりでは、「今」と向き合えません。
否定も肯定もせず、ただ過去のこととして心の“外”に置くのです。
目の前にあるのはいつも「今」という時間だけ。
過去をいつまでも引きずってはいけません。
また、人は来てもいない未来を想像して不安になったり、怖れを抱いたりします。
勝手に心配事を生み出しているのです。
たとえ不安や心配があっても、その未来が「今」になったときに考えればいいだけの話。
過去に縛られることなく、未来の不安をいたずらに考えないこと。
「今」という時間を生きていることだけに感謝しながら生きること。
それが「中今」ということだと思います。』
反対に、「中今」を生きていないとはどういうことなのでしょう。
矢作先生の著書に『「ねばならない」を捨てて生きる』があります。
私の中で、これら2冊の本は繋がっていて、
『ねばならない』の呪縛に囚われているから“中今”を生きられないと私は解釈します。
昨今のコロナ禍では、「ねばならない」の呪縛に世界が囚われています。
マスクにウイルスを遮断する効果はないのに、周りを不安にさせないためにとマスクをする。
マスクしていない人を非常識だと攻撃する。
ワクチンが病気を防いだ実績が本当にあるのか確証がないのに、未知の遺伝子ワクチンにすがる。
ワクチン否定派を非常識だと叩く。
開発者が感染症の判定に使うなと言っていたPCR検査を、今後の生活様式に不便になるからと受ける。
インフルエンザでも陽性反応が出るし、コロナ禍でインフルエンザ患者がほとんどいない数字に疑問を持たない。
新型コロナよりもインフルエンザのほうが怖いと言うと非常識だと叩かれる。
「ねばならない」の呪縛は、“常識”の名の元に正当化される『同調圧力』とも言えます。
同調圧力に屈せず、確固たる自分の意見で以て跳ね返せる人こそ「中今」を生きているのではないでしょうか。
迎合や忖度とは無縁の立場にいる、そんな人に私はなりたい。