埼玉にある水素サロンセルくれんず|牛肉は大量生産できる食材ではない
2021/07/18
「『安い食べ物』には何かがある」南清貴・著(三笠書房)
いつの間にか私たちは牛肉を常食するようになった。
昔、牛肉は高級品だったから、そうそう食べられるものではなかった。
むしろ、めったに食べられないくらいで良かったのかもしれない。
お酒に強い人と弱い人がいるように、肉にも相性がある。
日本人には肉の消化に手間取る体質の人がおり、そういう人は肉の多食には向かない。
そもそも、肉は本来それほどたくさん生産できる食材ではないはず。
それが今や、安い飼料や生産者の努力が重なって、安い牛肉が大量生産できるようになった。
これがかつて牛肉が高級品だった時代と同じ品質でいて安いのであれば、まったく文句はない。
しかし、残念ながら価格を下げることは、同時に品質を下げることだったのである。
牛肉が売れることで、誰が儲かるだろうか?
生産者や小売業者はもちろんだが、実はいちばん儲かっているのは、牛にエサを供給している人たちである。
そのエサとは、アメリカなどからくるトウモロコシや大豆などの穀物が主な原料になっている。
ちなみにトウモロコシと大豆は、資料としてだけでなく、コーン油や大豆油などの油の原料としても使われている。
いってみれば、輸入されたトウモロコシや大豆が牛肉に形を変えて私たちの食卓に並んでいるここと同じである。
日本の食生活が変わった原因は、戦争に負けたことにある。
戦後、敗戦国の日本に援助物資としてアメリカから小麦と粉乳が届く。
とはいえ援助物資として届いた期間は短く、その後は日本が買うことになるのだが。
当時、アメリカは化学肥料によって小麦が大豊作。
化学肥料は火薬を作りかえたものだった。
大豊作の小麦は使いきれずに、牛に食べさせていた。
牧草に比べて脂質と糖分が多い小麦を食べた牛は、脂肪が増えるは、牛乳はたくさんでるわで、小麦の豊作が牛乳の大量生産にもつながることになる。
消費しきれない牛乳をバターにし、その絞りカスでできた脱脂粉乳をアメリカでは豚のエサにしていた。
それでも余った脱脂粉乳を、戦後の日本に援助物資として日本に持ってきたのだ。
このこと一つとっても、当時アメリカが日本をどのように見ていたのかがよくわかる。
そんなどうにもならないものを無理やり買うことになったのは、日本が敗戦国だったであろう。
ところが敗戦から70年以上経った今でも、日本は同じことをやっているのだ。
社会構造的には今も何ら変わっていないということだ。
要するに、日本への戦略物資として与えられたのが「小麦」と「脱脂粉乳」だったわけだが、それが今は「トウモロコシ」と「大豆」に代わっただけなのだ。
そのトウモロコシと大豆が、さらに牛肉に変わったとも考えられるだろう。
実は、豚肉も鶏肉も、トウモロコシと大豆が主原料の配合飼料を食べた豚や鳥の肉なのである。
しかも食肉になる牛の約80%、豚の約70%は病気だという農林水産省のデータがある。
私たち日本人は、自分たちが大量に食べている安い肉のことを考えなおしたほうがいいようだ。